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授業開始

大学の授業が始まりました。


心配事はたくさんありました。


電車一時間半、バス十五分の通学、一時間半の授業、新しい環境。


その上で、勉強のことや新しい友達ができるかなど、心配しだしたらキリがありません。


それでも自分で選んだ道なので、文句ばかりも言っていられません。


とは言っても、そう簡単には割り切れないのも現実で…


入学式以降、今までにないくらい憂欝な状態が続いていました。


高校の時にこの病気になって、ずっと一人で戦い続けてきたと思っていたのですが、どこかで、高校の仲間に精神的に助けられていたのだなと痛感しました。


自分の弱さを知りました。


朝は必ずお腹を壊すようになりました。


電車の中でも腹痛は続きます。


それでも、腹痛の方が精神的には楽でした。


なので、電車の中でお腹が痛くなると少しほっとします。腹痛と頻尿の症状が同時に起こることがなかったからです。


さらにお腹が痛くなると「あぁ、ちゃんと身体がストレスを感じ取って警告してくれているんだなぁ」なんて考えていました。


「このまま身体が壊れてくれれば今日休めるのに…」なんてことを毎日考えていました。


進学は自分で選んだ道なのに贅沢な奴だと言われれば、返す言葉もありません。


それでも、何をどうしていいか自分でもわかりませんでした。


大学がどうこうではなく、この先の人生そのものが「ただ苦痛に耐えるだけ」のものだと感じました。


大学という大きな環境の変化と、大きな不安、ストレスの解消法が無いなど、負の要素がいろいろ重なってかなりの鬱状態でした。


なんだかんだで、この負の思考は少なくとも二年間は続くことになります。


三年目にして負の思考が治まった理由は、三年目にしてようやく、私を苦しめ続けた英語の必修授業が無くなった為です。


それでも、今でも時々そういった鬱状態になります。


その状態になったら、もうどうしようもありません。


それでも、やらなければいけないことはある訳で…


精神がやられたら、身体もやられます。なんだかんだで、繋がっているんですよね。


大学生になってからは、それを実感しました。


マイナスな内容ばかりで申し訳ないです。



そういえば先日、地元の友人の母親が亡くなりました。


自殺です。


その話を聞いたときは、悲しみではなく憤りを感じました。


誰に対して憤りを感じているのかわかりませんが、とにかくやりきれない思いでいっぱいになりました。


その友人とは小学校からの友達で、家にもよく遊びに行っていたので母親はよく知っています。


そして、当時からうつ病でした。


それでも、何年も病気と闘い続けていました。もちろん、家族も本人以上の苦労を強いられていました。


負の影響は周りに伝染します。本人も辛いですし、それを真摯に受け止めれば受け止めるほど、支える側も辛いです。


それでも、「自殺」という選択だけはしないで欲しかったと思います。


薬を嫌がって呑まなかったのが原因だと言っていました。


無理やりにでも呑ませるべきだったと、無関係の私は思います。友人も「今はそう思う」と悔やんでいました。父親もそう言っていたと言っていました。それでも、後悔先に立たずなんですよね...


ODや自傷行為はしたとしても、自ら命を絶つことだけは駄目です。


私も「もう生きる希望がない」と考えたことは、それこそ何百回とありますが「自殺したい!」とだけは思わないように努力し続けました。


夜、風呂に入ったときなんかは「このまま自然に逝けたら楽だなぁ」なんて考えてしまうのですが、それでもその思考はすぐに消す努力をします。


「自殺」だけは「一番やってはいけないこと!」だと自分に言い聞かせました。


なので、もし皆さんの頭に最悪のシナリオが浮かんだとしても、絶対に実行はしないでください。


最近そんなことがあったので、いつもより踏み込んだことを書かせていただきましたが、気にしないでくださいw


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  2. 大学1回生
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TOEFL

テストがありました。


「クラス分けテスト」です。


強制ですし、学内で行われるので逃げることができません。


前日は、どうしても「英検」の嫌な思い出が…


英検のときとは違い、当日の教室は大教室でした。


テスト時間は二時間以上あった記憶があります。


そして、英検以上に問題に集中できなかった記憶もあります。


問題を解き始めてからすぐに症状が現れたので、もうそれ以降は頭にはトイレのことばかりで、長文問題は読むことすらできませんでした。


トイレに行けばよかったのですが「何度も行ったら不審だし、不正だと思われるかもしれない」と思うと、なかなか行けませんでした。


その記憶しかありません。できるだけ思考を止めて、トイレのことを考えないようにして、ただ時が過ぎるのを待ちました。



大学生活が始まって、限界が来なかった日はまだ一度もありませんでした。


まだ授業も始まっていないのに、入学式以降の一週間でメンタルの状態はもう…


まさに「お先真っ暗」といった感じです。


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  2. 大学1回生
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オリエンテーション

入学式後、今のキャンパスでオリエンテーションがありました。


通学路も大変でしたが、そこは省略します。


学校に着くと、指定された大教室に向かいました。


オリエンテーションの内容はほとんど記憶にありません。大学生活についての注意やサークルの紹介だったでしょうか。


記憶にあるのは「その後」です。


オリエンテーションが終わって「やっとトイレに行ける」と安心していた私に試練が…


司会の人から「では、これからゼミに別れてもらいます。担当の生徒が付きますので、集合したらすぐに校内案内へと向かってください」というアナウンスが…


「?」ってなりました。


「集合したらすぐに」→「トイレ休憩なし」という脳内変換で、パニックです。


一時間以上オリエンテーションをやって、休憩もなしに次のスケジュールなど考えられません。


「そんな気遣いもできないのかよ!」と怒りを覚えました。


「ゼミ」や「校内」のことなど、どうでもよかったです。


「トイレ」のことしか頭にありません。


結局、トイレに行けないまま、校内案内へと出発することになりました。


20人弱のゼミメンバーに先輩が一人付いて、学内を案内されて回りました。


校舎や食堂、図書室やその他の施設を案内されます。


スケジュールも押しているらしく「急いで全部回ろう!」と先輩が仰っていたので、途中で「トイレに行きたいです」と言える雰囲気ではありませんでした。


しかも、一緒に回っているのは今日初めて会った人達で、これから一年間同じゼミで過ごすメンバーでもあります。


「変な行動をしてはいけない」という思考が行動にセーブをかけていました。


それでも、本当の限界は急に訪れます。


図書室に入ったときに「これは本当に漏れる」と感じました。歩きながらだったので、いつもよりも症状が加速したのかもしれません。


また、図書室を出たら、次はいつ校舎に入れるかわからなかったので「ここでトイレにいかなければならない」と今までの経験から感じました。


最後まで我慢するつもりでいましたが、仕方がありません。


できるだけ自然に、かつ切羽詰まっている感じも出しながら「先輩すいません。トイレに行ってもいいでしょうか?」と言いました。女性の方でした。


すると「えぇ、時間ないしなぁ…」とは言いつつも、なんとか許可が出ました。


間一髪のところで助かりました。


その後は、残りの校舎を回って、最後にゼミ室に入って教授の話を聞いてから解散となりました。


その日、帰りの電車で「大学っていうのは、授業以外でも一時間ごとに休憩がないのか」と考えていたのを思い出します。


初日からこんな感じでした。


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  2. 大学1回生
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入学式

神経性頻尿からは卒業しないまま高校を卒業し、大学の入学式の日を迎えました。


物語であれば、もうそろそろ良くなってもいいはず。少しは変化があってもいいはず。それでも現実は残酷でした。


でも、環境が変わって心機一転、これから良い方に変わって行くのではないかと、僅かな期待は捨てていません…


いずれにせよ、目の前の「入学式」をクリアしないことには何も始まりませんでした。


入学式前夜は心臓バクバクでいつものように眠れなかったので、眠いまま式へと向かう事になりました。


卒業式がかなり衝撃的だっただけに、真剣にオムツの購入と着用を考えましたが、スーツの下にはいたら、かなり目立つと思ったのでやめました。


ダボっとしたズボンなら目立たないのかもしれませんが、試したことがないのでわかりません。ごく薄のヤツがあれば、是非購入したいです。


朝、真新しいスーツを着て、革靴を履いて家を出ました。


入学式は、もうひとつのキャンパスで行われるので、この前とはまた別の電車とバスです。


電車の中には、同じようなスーツ姿の若者の姿がありました。おそらく目的地は同じです。


この人達は、目的地に着くまで一度もトイレを意識することはないのでしょう。


入学式に抱く気持ちや緊張も、私のそれとはまったく違う種類のものだと思います。


入学式を前にして、既に悲観的になっていました。


それと、もうひとつ私を悲観的にさせる材料がありました。


「下調べ」を「してしまった」ことです。


とにかく入学式の時間と場内のトイレの場所、式の内容が気になった私は、事前にネットで検索してしまいました。


すると、YouTubeで昨年に行われた式の動画を見つけてしまったのです。


再生時間は約二時間。動画には隙間なく敷き詰められた席。


式だけで約二時間だったので、開会までの時間や閉会後の時間も合わせたらと、余計なことを次から次に考えた結果「これは無理」だと思いました。


式に出なくても、なんとかなると知っていれば、絶対に参加しなかったでしょう。


それでも当時の私は何も知らず、式に出ないと今後において問題があるのではないかと考え、「参加するか大学をやめるか」みたいな二拓に迫られていました。


「もう入学金も払ってしまったし、もし漏らしてしまったら次の日にやめよう」と思って、自分で勝手に背水の陣をしいて式に臨むことになります。


まあでも、式の後にいろいろ配布物があったので、結果的には参加してよかったです。もし何かの事情で参加しなければ、後で事務室に行って面倒な手続きをすることになります。



キャンパスに着いた私は、サークル勧誘の花道を通り抜け、式場へと入ります。それでも、すぐに席には向かいませんでした。


いつものように、できるだけ開始直前まで待ってからトイレへ、その後に席に座ろうと考えました。


いざホールへ入ると、私の予想通り決められた席ではなく、入って来た順に前から座るかたちでした。


一回席に座ったら、抜け出せないくらいにキツキツだったので、心から自分の選択を褒めました。


それでもここから約二時間、耐えれるのかが心配でした。



「知らずの二時間」「知っての二時間」どっちの方が、症状がましになるのでしょうか。もちろんケースバイケースでしょうが、微妙なところです。


二時間と知っていたから「行かないでよかった」という経験もありますし、知らなかったから「行けた」みたいなケースもあります…


「知らずの一時間」「知っての一時間」であれば、間違い無く後者の方が私は安心します。


「一時間であれば授業でいつも耐えてきたし、今までに漏らしたことは一度も無い!」という確信があるからです。「知らずの一時間」だったら、「いつまで続くのだろう」という不安で、途中で心が折れてしまうかもしれません。


それでも「二時間」となると、当時の私には圧倒的に経験がありませんでした。わずかにある経験はどれも最悪の思い出ばかりです。


しかも、ついこの前の卒業式で「途中で抜け出せない」というイメージは頭にインプット済みです。



そして、式が始まりました。内容はあまり覚えていません。ただ、無駄に何回も起立と着席を繰り返したのと、話が終わってからの「出し物」に対して「はやく終われ!」と念じていたのは覚えています。


我慢しているときに、急に立ったり座ったりするのは本当に辛いです。


出し物は、30分以上はありました。チアリーディングや合唱、応援団など、もう勘弁してほしかったです。


内容がいくらよくても、この状況ではなにも心に響いてきませんでした。


結果としては、途中で抜け出すこともなく終えることができました。


でも、式が終わっても、すぐには退場できないんですよね。退場の順番がアナウンスされて、それまでは待機です。不意打ちでした。


その後、すぐにトイレに駆け込みました。


前日は水分をほとんど取らず、あの頃の私ですから、当日はたぶん一滴も水分をとっていなかったと思います。なので、当然出る量も少量でした。


それでも、ものすごい尿意は確かに感じました。いや、もしかしたら「尿意」ではないのかもしれませんね。でも、漏れそうな切羽詰まった感じなので、やっぱり尿意なのでしょうか…



なんにせよ、この入学式を境に、私は大学というところの恐ろしさを実感することになります(頻尿という意味で)。


ここからは、本当にしんどい毎日でした。


高校のときのそれよりも酷く、鬱ではないと思うのですが、心は完全に死んでいました。


もう一度やれと言われたら、発狂すると思います。


そんな日々の始まりです。


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  2. 大学1回生
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卒業旅行

卒業旅行にも行きました。


ユニバーサル・スタジオ・ジャパンです。


しかも、二回行きました。


高校の友達と、地元の友達(こっちは「卒業旅行」とは言わないかもしれません)です。


下手したら三回行くことになりそうでしたが、そこは心を鬼にして断りましたw


両方とも大切な友達で、「卒業旅行」という一生に一度きりの思い出です。断る理由がありません。


この病気さえなければ、私も間違いなく喜んで三回目も行ったことでしょう。



関西の人であれば、「どっかに遊びに行く」となれば、大体一度はユニバに行きます。


私も例にもれず、過去に3回くらい行きました。


それでも、神経性頻尿になってからは1回目です。不安でした。


二日間、どういう風に回って遊んだのかはあまり覚えていませんが、頻尿の症状がMAXだったアトラクションだけはしっかりと覚えています。当時の光景が目に浮かぶほどです。


一緒に回った友達は誰だったのかも覚えていないのに…


私が本当にヤバかったのは、ウォーターワールドとスパイダーマン、ハリウッド・ドリーム・ザライドです。


普通に頻尿になったのは、ジュラシックパークとターミネーター、シュレック、バックドラフトです。


・・・かなりありますねw


どれもいけるときは、必ず直前にトイレに行きました。


当日の私の設定は「今日、お腹の調子が悪い」です。


それでも、あまり行きすぎると皆の迷惑になるので、ほどほどにするよう努力しました。


でも、待ち時間がとんでもなく長いんですよね。


中でも一番地獄だったのがウォーターワールドからのハリウッド・ドリーム・ザライドです。この間、トイレに行けませんでした。


ウォーターワールドは、アクションありの劇みたいなやつです。結構な時間があります。内容はとてもおもしろかったのですが、後半は安定の我慢ですね。


それでそこからのハリウッド。ジェットコースター。この間トイレ休憩なし。


ハリウッドは、何故か皆で走って行って並びました。列に並んだときに「終わった」と思いました。


案の定、待ち時間はものすごいことに。


一時間以上は確実に待ちました。それでも、空いている方でした。


それと、ユニバのアトラクションは、一回並ぶと途中で列から離れにくいんですよね。


気持ちの問題ではなく、物理的にです。


迷路みたいになっている所に並んで進んでいくので、途中で抜け出せません。


すっかり迷路にハマり込んで、もう抜け出せないと思ったときは、血の気が引いていました。


なので、乗る直前は、一歩でも歩いたら漏れるという状態でした。


そこからのジェットコースター。


ふっと無重力になった瞬間…笑いました。ヤバすぎて。


おそらく、瞬間の絶望度では、卒業式のときよりも勝っていたと思います。


尿を我慢しながらのジェットコースター。昔、芸人が何かのバラエティ企画でやっていたのを思い出しました。


今回は、しっかりと尿が溜っているのもわかりましたし、自分の想定していた限界はとうに超えていたので、漏れなかったのが不思議です。


でも、感覚はめちゃくちゃ(痙攣した感じ)になっていました。


もう少し遅ければ、漏らすより前に失神したのではないかと思います。


他のアトラクションは、そこまで酷くはありませんでした。いつもの感じです。


列に並びながらソワソワして、アトラクションでは我慢。そんな感じでした。


待ち時間っていうのは、本当に怖いです。


行列に自ら望んで並ぶ人の気がしれません。


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  2. 高校3年生
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教習所

高校を無事に卒業して、大学の入学式までは時間がありました。


なので、この休みを利用して、バイクの免許(普通自動二輪)を取りに行くことにしました。


家にバイクがあったのと、移動手段として必要だったからです。


このときの気持ちは「バイクの免許>頻尿による苦痛」でした。


免許は取ったことがなかったので、ナメていました。


いざ、教習所に行ってカリキュラムを知って後悔するパターンです。


教習は、学科と技能に別れているのですが、どちらも教習中にトイレに行ける空気ではありませんでした。


まず学科に関しては一時間ごとに休憩があるのですが、授業中は教室から出てはいけません。


教官が教室に入って来るのと同時に、教室の鍵を閉められます。


もうそれだけですごいプレッシャーです。「トイレに行けない」というプレッシャーが一番怖いのに、それを毎時間されるのは気持ち的にやられます。


どうしてもヤバイときは、途中で出て行くこともできたのだと思いますが、一度それをしてしまうと、どんどん症状が悪化してしまうような気がしたので必死に我慢しました。


高校の授業で手を挙げてトイレに行った後、「もうこの時間はトイレにはいけない」みたいな変なプレッシャーを感じて、よけいに症状が酷くなったことがあったので、そのときのトラウマかも知れません。


気にしだしたら止まらない病気なので、仕方が無いです。


なので、高校の授業で「一時間」には慣れていたつもりだったのですが、比べ物にならないくらいの我慢を強いられました。


リアルに、倒れるかと思うこともありました。


毎回毎回、同じ症状の繰り返しなのに、全く慣れないのには辛いものがあります。


バイクの技能は、ゼッケンやプロテクターを付けて受けます。


バイクに乗っているので、尿意を感じてもすぐにはトイレに行けません。


それでも、隔離されていないのと、運転に集中していたため、学科ほどの症状はでませんでした。


もちろん、二時間連続で教習を入れた時は、短い休憩時間の間に、ゼッケンとプロテクターを付けたまま屋内のトイレまで走っていきました。



そしていよいよ、試験本番を迎えます…


教習所での教習が無事に終わり、運転免許試験場に学科試験を受けに行きました。


当日は、ものすごい人で、大きな会場にイスと机がビッシリ並んでいました。


「大きな会場」「人口密度が高い」「試験」と、恐ろしい条件がそろっていました。


試験は早く終わった人から退席しても良かったので、とにかく早く終わらすことと、二度とここに来ないためにも、一発で受かるように最後の暗記をしました。


結果、かなり早く問題を解くことができました。


でも、毎度のことながら、いざ問題を解き終わると尿意が引くんですよね。「これでいつでも教室を出れる」という安心感からです。


それからは、二周ほど見直しをして教室を出ました。


試験には無事に一発合格しました。当然です。他の人とは追い込まれ方が違いますw


免許書の手渡しも長かった記憶があります。もちろん「体感時間」ですが。


まあ、無事に免許を取得できたのでよかったです。


もう二度と、あんな長い学科を受けることもありません。


ただ、車の免許を取りに行ったときに「高速教習」で再び苦しむことになりましたが、その話はまたの機会にでも…


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  2. 高校3年生
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卒業式

卒業式のことは、今でも鮮明に覚えています。


前日は一切眠ることができませんでした。


不安からです。


式は果たして何時間あるのか、途中でトイレには行ける空気なのか、もういっそのこと休んでしまおうかなど、いろんなことを考えているうちに朝を迎えました。


それでも、三年間お世話になった学校だったので、参加することにしました。


それでも、内心は帰りたくて仕方が無かったです。


学校につくと、とりあえずは教室待機になりました。


そして、教室に担任が入ってきて、そろそろ式の時間です。


私は、どのタイミングでトイレに行くのがベストかだけを考えていました。


「もうすぐ式が始まるからトイレに行きたい奴はトイレに行け」と担任が言い、私は迷わずにトイレに行きました。


でも、ここからが地獄でした。


式の行われる体育館までは、全員整列して向かいました。


ですが、すぐに着席するわけではありません。


「卒業生入場」の合図までは、全員体育館の外で待機です。


その待機時間がものすごく長かったのです。


いくら待っても、入場しません。


私のプランでは、体育館に着いたらすぐに入場して一時間ほどで式が終わり、教室に戻る予定でした。


案の定、そこで30分以上待たされることになります。


私は、15分を経過したぐらいで、既にトイレに行きたくなってきたのですが、いつ入場するかは担任にもわからないので、トイレに行くことができません。


その時は、本当に帰りたいと思いました。


でも、進むも地獄、戻るも地獄です。


結局、30分たったぐらいに限界が来て、「これはこのまま入場しても我慢できない」と思ったので、担任に言ってダッシュでトイレに走りました。


もちろん担任からは引きとめられましたが、お構いなしにダッシュしました。


体育館の来客者用の入り口から入って、トイレに駆け込みました。


するとトイレに入った瞬間、吹奏楽部の演奏と拍手が聞こえてきました。


絶望しました。


まさかの、このタイミングで卒業生入場です。


もう本当に帰ろうと思いました。


そう思いながら外に出ると、卒業生の入場はまだ続いていました。


それを見て、「この列に紛れて入場すればいけるかもしれない」と私は思いました。


たぶん、その時はいろんな事が吹っ切れていたのだと思います。


今やれと言われても、絶対にやらないです。


それで、全く知らないクラスに紛れて入場しました。


ある程度席に近付いて来たら、その列からはずれて、自分のクラスの席めがけてダッシュしました。


知らないクラスの列に割り込んだ瞬間は、「はっ?」っていう顔をされました。


そりゃそうでしょうw


幸か不幸か、私のクラスは一番前の席だったので、誰かにどいてもらうこともなく席に座れました。


席を空けておいてくれた友人にも感謝です。


席に戻ると、周りのクラスメイトから「お前、やるなぁw」と言われました。


確かに高校の卒業式で、あんな入場の仕方をする生徒はそうはいないと思います。


そういう形で、なんとか卒業式に参加することができました。


いざ席に座ると、絶対に途中でトイレに行ける雰囲気ではありませんでした。


式前にもし「トイレに行く」という選択をしていなかったらと思うと、さっきの自分の行動は正しかったと思いました。


式は一時間以上ありました。


もちろん、途中でトイレに行きたくなって、そこからは文字通り手に汗握る戦いでした。


祝辞や送別の辞が長かったりすると、「早く終われ!」と、何度も心で念じました。


プログラムが一つ終わるごとに、尿意も増しましたが、それ以上に「もうすぐ終わる!」という希望も増しました。


そしてようやく卒業生退場となりました。


長い戦いでした。


立ち上がった瞬間、「ヤバイ!」と思いましたが、体育館から教室までは持ちこたえました。


そして即いつものトイレにダッシュです。


この一年間で、このトイレに来た回数が一番多いのは、間違いなく私です。


そんなことを考えていたのを思い出します。汚い話です。


それで、その後は担任からの涙ありの話があり、食事もし、良い時間を過ごしました。


その時初めて、今日来て良かったなと思いました。


卒業式だけであれば、ものすごく嫌な思い出で、終わっていたことでしょう。


それでも「式」と名の付くものは、もう二度と参加したくないと思いました。


「式」については、神経性頻尿の方はもちろんのこと、その他の病気の方も苦手とされている方が多いと思います。


本来であれば、めでたいものであったり、感動するものなのだと思いますが、私にとってみれば苦痛でしかありません。


なんかもっと、万民が心地よく過ごせる「式」があればなぁと思います。


そうでなければ、自由参加にしていただきたい。



私の卒業式は、そんな感じでした。

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  2. 高校3年生
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一年

冬休みになり、神経性頻尿になってから一年が経ちました。


初めはすぐに治ると信じていたのですが、そんなことはなかったです。


この一年間は、インターネットでひたすら検索しました。


神経性頻尿の方のブログや掲示板はかなり見ました。


同じ病気で悩んでいる人が、たくさんいることを知りました。


その中には、完治した人、症状がよくなった人、十年以上病気と闘い続けている人、いろんな人がいました。


でも、万人に共通する「コレ!」といった治し方は見つける事ができませんでした。


もちろん、効果がありそうなマッサージは今でも続けていますし、鍼灸にも行き、森田療法や催眠療法の本も読みました。


これで、完治した人はたくさんいるのだと思います。


でも、私は完治しませんでした。


僕のやり方が悪かっただけなのかもしれませんが、症状がましになることはあっても、完治はしていません。


それでも、森田療法の本なんかは、メンタル面で学ぶことが多かったです。


そして、過敏性腸症候群や対人恐怖症など、似たような病気がたくさんあることも知りました。


また、この病気だけでなく、パニック障害やうつ病など、複数の病気を抱えている人がいることも知りました。


神経性頻尿だけでも大変なのに…同時にいくつもの病気を抱えている人はどれだけ大変なのだろう。


経験の無い私には、その苦労は到底想像できませんが、それでもパソコンの前で涙したのを覚えています。



ちょうど病気になってから一年がたち、だんだんと「この病気と一生付き合っていくのかもしれない」と思うようになっていました。


時間薬で、一番酷かった最初の頃よりはましになっていましたが、それでも何かのきっかけで、また最初の頃に戻るのではないかと思うと不安で、トイレの無い所には出かけられませんでした。


最も酷かった最初の頃は、五分ごとに尿意、十五分でトイレに行っていました。


一年たつと、三十分で尿意、一時間でトイレといった感じでした。


授業が五十分だったため、そのせいかもしれません。


もしかしたら、こうして強制的に症状を治していく方法が確実なのかもしれません。


それでも、この一年は相当神経をすり減らしました。


あとは、家で一時間我慢できたから外でも大丈夫。家で二時間我慢できたから外でも大丈夫。この治療法も試してみましたが、いざ外に出るとすぐに頻尿の症状があらわれて、「やっぱり駄目だ」と思ってしまい、それ以降はあまり効果がありませんでした。



でも、この病気になってから収穫もありました。


「心の病気」について深く知れたことです。


心の病気というと語弊があるかもしれませんが、目に見える身体の病気以外の病気のことです。


私自身、頻尿の症状しか経験していませんが、この一年でかなり苦しめられましたし、現在も苦しんでいます。


心の病気と言ったら、単に精神が弱いとか身体に異常がないのだから日常生活に問題はない、と考える人は今でもたくさんいるでしょう。


でも少なくとも、今の私はそうは思いません。


でも、うまく症状を説明できないし、科学的証拠がなく理解して貰えない病気が多いのも事実です。


そして何より多くの場合は、気軽に周りの人に話せないという壁が立ちはだかります。


「俺今日風邪だわ」「私実は喘息で」みたいには言えません。少なくとも私は。


それでも症状はほぼ毎日あるので、医学の進歩と社会の理解が進むのを待つばかりです。



また、「神経性頻尿」で検索をかけても、他の病気に比べて情報量がかなり少なかったことも、残念な気持ちになりました。


「パニック障害 芸能人」で検索すると何人かヒットしますが、「神経性頻尿 芸能人」で検索をかけても、見つからなかった記憶があります。


それだけ、人に言いづらい病気なのかもしれません。


匿名掲示板を見ると、同じ病気の方はかなりいるように感じたのですが、やはり排泄に関わる病気だということが、人に言い辛い原因の一つとなっていることは間違いありません。


また、健康な人でも尿意は感じるので、自分の症状を説明しても「我慢くらいできるでしょう」言われることが、より一層人に言いづらくさせます。


そして、実際にある程度は我慢できるので、身体の病気のように確実に「証明」できないことが辛いです。



そんなことを考え、学んだ一年でした。


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  2. 高校3年生
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面接

冬、大学の推薦面接がありました。


校内の選考では無事に選ばれたため、残るは大学に出向いての面接だけでした。


指定校推薦の面接は、かならず通ると言われています。


ですが私はそれ以前に、大学まで行くのがいやでした。


何にも考えずに学校を選んだ私は、ここで家から大学までの遠さを初めて知ることになります。


大学までの行き方を調べると、電車で1時間半、バスで15分かかるとのことでした。


もうここで、絶望です。


電車は最大でも30分しか我慢できないのに、90分かかる。


本当に、真剣に一晩、推薦を断ろうかと考えました。


それでも、もう学校側からは推薦枠をもらっていたので、とりあえず面接だけは行くことにしました。


面接日当日、私はかなり早めに家を出ました。


初めて大学に行くので、道で迷うこととトイレに行く時間を計算に入れたためです。


時間がない→途中でトイレにいけない→頻尿になる→結局トイレに行く→遅刻する


というシナリオが一番最悪でした。


駅でしっかりとトイレを済ませ、電車に乗りました。


乗換の回数や、電車に乗っている時間は事前にきっちり調べていたのですが、それでも不安でした。


結局、全ての乗換駅でトイレに行きました。


もちろん、時刻表検索サイトにはトイレに行く時間などは含まれていないため、予定通りの電車には乗れませんでした。


でも、比較的本数があったため、数分待てば次の電車に乗ることができました。


問題は、最後の乗換でした。


快速を使えば30分でいけるのですが、各駅停車では40分以上かかる電車でした。


快速にはトイレがあるかわからなかったので、悩んだ結果、各駅停車で行くことにしました。


それでも、40分は乗らないといけないというプレッシャーから、20分ほどで尿意を感じました。


もうそうなると、一駅一駅が闘いです。


いつものように「なんとか次の駅までは!」


と、自分自身と闘いながら、目的地まで我慢しました。


自分の身体なのに、自分の意識ではコントロールできない。むしろ、自分が思えば思うほど、それとは逆の方に意識は働く。そんな毎日に、もう疲れきっていました。


駅に着くとトイレに駆け込み、間一髪を逃れました。


そこからはバスです。


ここで問題が起きました。


バスの乗り場がわかりません。


インターネットで調べたバス乗り場には、大学行きのバスがありませんでした。


あとで知ったことですが、時間帯や日にちによって、バス乗り場が変わるということでした。


何故そんな大事なことを、書いていなかったのか。


でも、とにかくバスに乗らなければいけません。


トイレに何度も行き、各駅停車に乗った私に残された時間は、ほとんどありませんでした。


ギリギリの時間しか残っていなかったのです。


とりあえず、一番近くのバス乗り場に停まっていたバスの運転手さんに、大学まではどのバスに乗ったらいいのかを聞きました。


すると、「あのバスだよ。もう出るから急ぎなさい」と言って、全く反対方向のバス停を指しました。


バスは丸い大きな円のロータリーに停車していて、運転手さんが教えてくれたのは、円のちょうど反対側に停まっているバスでした。


それを聞いた私は、運転手さんにお礼を言い、ロータリーの中を直線距離でダッシュしました。
50mはあったと思います。


そして、一度は閉まりかけたドアが再び開いて、なんとか乗りこむことができました。


車内では「駆け込み乗車はおやめください」と、しっかりアナウンスされました。


車内には、いろんな制服の生徒がいました。おそらく皆面接だろう。
そんなことを思いながらしばらくバスに乗っていたのですが、10分もたつと下腹部に違和感を感じました。


「これはヤバイ」と思ったときには、その違和感は尿意にかわっていました。


こんなに間隔が短いのは久しぶりだったので、余計に焦りました。


でも、ここで降りることはできません。電車とはわけが違います。
そして、私も高校の制服を着ていたので、周りの学生も私が同じように大学の面接に行くのだと思っているでしょう。それなのに、私が途中で降りたら変に思われる。というか、面接には確実に遅刻してしまう。そう思うと、絶対に途中で降りることはできませんでした。


さっきの電車での20分間の苦しみと同じくらいの5分間を耐え抜き、大学前まで辿りつきました。


幸い、バス停から大学が見えていたので、大学まではダッシュです。


もう限界だったので、周りの目など関係ありません。


キャンパス内に入ると、面接者用に看板が立っていました。


初めてキャンパスに来たのでトイレの場所もわからず、とりあえずはその看板に従いました。


すると、事務の方が何人か立っていて、名前と面接番号を聞かれました。


尿意を我慢しながらも平静を装って答えると、面接をする教室の前まで案内されました。


教室の前に着くと、廊下に並べられた椅子には、もうすでに何人か座っていました。


「もう面接始りますから、座ってお待ちください」
と言われ、事務員は去っていきました。


「トイレはどこですか?」
と聞きそびれた私は、今日最大の絶望感を感じながら、その席に座りました。


すると、すぐに教室のドアが開き私を含めた、廊下にいた三人が呼ばれました。


その時、教室に入るのがどれほど怖かったことか。


そんな私とは対照的に、面接官の二人は笑顔でした。


おそらくこの大学の教授だったのでしょう。


入って着席するなり、「そんなに緊張しないでいいですからねぇ」と私たちに言いました。


「いや、僕は面接の緊張じゃなくて、トイレにいきたいんです!」
などと言えたらどれだけ良かったか。私はただ、早く面接が終わることを祈りました。


面接は教授が質問をして、三人が順番にこたえるというものでした。


申し訳ない話ですが、他の二人の話が長いと怒りを覚えました。


「早く終われ! 次の質問で終われ!」
私はずっと念じていました。


「それでは最後の質問です」
この一言を言われたときの嬉しさといったら...


結局、面接にどれだけの時間がかかったのかはわかりませんでしたが、最後の質問が終わり「失礼しました」と言って教室を出ると、私はダッシュで校舎を出ました。


他の教室でも面接をやっていたので、同じくらいの時間に面接が終わった高校生たちは、皆正門へと向かっていましたが、私は逆方向(キャンパスの中)に向かって走りました。


とりあえず先ほどの校舎では面接をやっていたので、他の校舎のトイレに行こうと思いました。


トイレはすぐに見つかったので、助かりました。


でも、帰りのバスと電車でも、またしっかりと尿意を我慢することになります。


とにかくもう、この日は散々でした。


後日、合格の通知が届きましたが、その紙を見たとき、この面接の思い出がよみがえって複雑な気持ちになりました。


合格通知を見て喜ばないとは、いよいよヤバイなと自分で思い始めていました。




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文化祭

文化祭。


私が神経性頻尿になってから、唯一楽しむことのできたイベントでした。


文化祭の準備がほぼ全て放課後だったからです。


私たちのクラスは三年間一緒でした。


ですので、必然的に文化祭の出し物に要求するレベルは、毎年上がっていきました。


そして、今回の文化祭では昨年に引き続き、映画を作ることになりました。


映画では演者として出演しました。


他にもお笑いやダンスの動画などのネタ動画も撮りました。


文化祭までの一ヶ月は、放課後遅くまで残って準備しました。


ですが、放課後でいつでもトイレにいける状態だったので平気でした。


ようやく、トイレのことを気にせずに、学生生活を満喫することができました。


5時間ぶっ続けで作業をしても、一度もトイレに行かないこともありました。


ほんの一時間前までは、休み時間の度にトイレに行っていたのに、授業が終わった途端、この変わりようです。


放課後は、必ず喉もカラカラになっていたので、水分補給もしっかりしました。


文化祭の準備期間中は、授業中もいつもより少しだけ頻尿の症状がマシになったのを覚えています。


学校で、トイレに何時間も行かないで大丈夫という経験が、大きい理由だと思います。


といっても、毎休憩時間にはトイレに行っていましたが、尿意が限界になる回数が減りました。


午後の5、6時間目の授業で一度も尿意を感じなかったこともありました。


これは自分にとっても新しい発見で、「環境に対する自分の意識(無意識?)」みたいなものをコントロールするできれば、頻尿の症状が抑えられるのだと少しだけ感じました。


ですが、そんなことをそう簡単に習得できるはずもなく、文化祭が終わった後も、相変わらず神経性頻尿との長い付き合いが始まります。


ちなみに、文化祭は大成功に終わりました。


今でも良い思い出です。



あと余談ですが、ブログに掲示板へのリンクをつけましたので、もしよければ利用して下さい。


よろしくお願い致します。


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進路面接

9月頃でしょうか。


ちょうど、私の夏休みの実験も虚しい結末に終わり、絶望真っ只中だった頃、進路面接がありました。


一応、夏休みまでは公立大学を受験しようと考えていたのですが、この頃には「どこの大学に行っても、頻尿であることは変わらない。もちろん、大学の後も、その先もずっと...」という負の感情に支配されていたため、進路のことなどどうでもよくなっていました。


それでも、卒業して働くとなると、この病気で働ける場所があるのかどうかわからなかったので、進学をすることにしました。


ちなみに、この病気になる前はコンビニのバイトをしていたのですが、その時のシフトはほとんど一人でやっていたので、休憩もなく5時間ぶっ続けでした。


それでも、トイレには行きませんでした。
もし、どうしても行きたくなった場合は、客がいなくなるまで我慢して、間を見てダッシュで行きました。


今思うと、とても恐ろしい環境です。


そのイメージが強くあったので、当時の私に就職という選択肢はありませんでした。


それで、面接の日になったのですが、担任からは受験を勧められました。


もちろん、家にお金は無かったので、前までの私なら受験を選びました。


しかし、未来に希望が見いだせなくなっていた私は、勉強する意欲を失っていました。
大学に進学したい!という気持ちはほとんどなく、消去法で進学を選びました。


そして、ある種保険のように推薦を選びました。この場合の保険というのは、推薦が決まっても最悪直前で断ればいいやという保険です。


もちろん高校側には多大な迷惑をかけます。
そのせいで、大学側から次年度の推薦を断られる可能性もあります。


それでも、私は保険としての推薦を選びました。
この時の私は、周りのことなどほとんど考えてなかったように思います。


幸い、当時の私はクラスの中では一番の成績でした。
推薦も学校に一枠、というか私たちの専門コース(クラス)に一枠のものを選ぶことにしました。


選んだ理由は、私立大学の中では有名なところだったのと、推薦枠の中で一番偏差値が高い大学だったからです。


ただそれだけの理由でした。


なので、入学するまではその学校に全く興味がなく、私は何も知らずに入学することになります。


推薦の希望者はまだ決定ではなかったのですが、敵はクラスメイトなので、私がその推薦を狙うことにすると、周りのクラスメイトたちは他の推薦を狙いました。


推薦は、成績と資格で決まります。
更に、勉強のできる子はほとんどが受験をするため、実際に推薦を狙うクラスメイトと私の間には差がありました。そういった理由から、ほぼ私の推薦は確実でした。


クラスメイトからは「楽する方に逃げたな!」と散々いじられました。
神経性頻尿になる前であれば、その言葉に感化されて受験に切り替えたかもしれません。


でも、本当にもう、その時は、どうでもよかったんです。


そんな風に、私は進路を決めました。


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新学期

いよいよ、夏休みも終わろうとしていました。


我慢の実験で、自分の膀胱が広がった感覚をつかんだ私は、新学期に期待していました。


それでも、登校の前日の夜は不安で眠れませんでしたし、水もほとんど取りませんでした。


そして、朝。


いつものようにトイレを済ませて家を出て、最寄り駅に着きました。いつもならここで一度トイレに行くのですが、今日は自分を奮い立たせ、トイレにはいかずにホームへの階段を上りました。


もう心臓はバクバクです。友人と電車がくるまでの数分がものすごく長く感じました。


幸いまだ尿意は感じていませんでしたが、ものすごく緊張していました。


そして、電車に乗り込みます。


いつもと同じ満員電車でした。私たちが降りる駅までは3駅あります。
いつもなら、駅でトイレに行った直後に乗るのでこの区間では尿意は襲ってきません。
幸い尿意はなかったのですが、それ以上に心臓が高鳴っていました。


尿意が襲ってくるかもしれないという不安と、もし途中で尿意がきても途中で電車を降りれないという恐怖でいっぱいでした。もし途中で私が降りれば、友人に迷惑をかけるし、必ず遅刻します。


もしかしたら、途中で降りようと思っても、人がいっぱいで途中では降りられなかったかもしれません。


そして、なんとか駅に着きました。


この時点で、家を出て約30分はトイレを我慢していました。


ここからは地下鉄に乗り換えです。JRの駅を出て、地下鉄の駅に向かいます。


ここから20分ほど電車に乗ります。


前学期では、我慢の限界のときはここでトイレに行っていました。


でも、その場合は、その後どれだけ尿意を感じても学校まではトイレには行きませんでした。


さすがに通学途中で二度もトイレに行くと、友人に迷惑をかけると思ったからです。


それでも、私の友人も朝はお腹の調子が悪いことが多かったので、友人には悪いですが私的にはとても助かりました。


私からトイレに行きたいと言わなくても、トイレにいけるからです。


その時は、いつも友人はもうし訳なさそうに「先行ってていいよ」と言って駅のトイレに入って行きましたが、もちろん私も一緒にトイレに行きました。それで何度か遅刻したこともありましたが、私にしてみればとてもありがたかったです。


話は戻り、乗換の駅に着いた私でしたが、ここでもトイレを我慢する決意をしました。


しかし、いざ地下鉄がホームに入ってくると、いつものあの嫌な尿意が襲ってきました。


それでも、もう電車も来ていたので乗るしかありません。


その時の私は、崖から一歩踏み出すような気持ちで、電車に乗りこみました。


この20分という時間がとても微妙なんです。普通の人なら20分は尿意を我慢できます。腹痛であっても大体の場合はギリギリ我慢できます。
ですので、この状況でトイレに行きたいと言っても、おそらくほとんどの人は「もう電車来たし20分だけ我慢して」と言うと思います。


そして、私も20分我慢しました。


電車とは本当に恐ろしい乗り物です。多分バスの次に怖い乗り物です。


駅までの間は、何があっても降りられません。
そして、事故などによって駅の途中で停車したときの恐ろしさたるや...
後に大学生になった私は、それをいやという程体験することになるのですが、それはまだ先のことです。


それで、手汗でドア付近の銀色の棒をべちょべちょにした私は、駅に着くとすぐトイレに向かいました。


ダッシュでエスカレーターを上ったため、後で友人に「そんなにギリギリやったんかぁ」と言われました。


結局通学途中でトイレに行ってしまった私でしたが、それでも30分以上は尿意の無い時間があったので、わずかに尿意が伸びたことに喜びました。


そして学校に着き、始業寸前にトイレに行った私は、緊張しながらも少しの期待を持って授業にのぞみました。


当時のことなので授業のことは詳しくは覚えていませんが、結論を言うと「ダメ」でした。


初めの何時間かは、いつもよりも尿意が来ない時間が長かった記憶がありますが、それでもせいぜい30分~40分で、授業の終盤には尿意が襲ってきました。


そして、その後は春と同じく尿意との戦いでした。


帰り道、心がスカスカだったのを覚えています。


いつも帰り道は、イヤホンで音楽を聴きながら帰るのですが、どの曲を聞いても何の感情も湧きませんでした。


「あぁ、もう何をやっても駄目だ。家や図書館で何時間我慢できたとしても、学校で出来なければ何の意味もない」


そんなことを考えていました。


その後数週間は、家に帰っても最低限のことしかせず、魂が抜けたように過ごしていました。


この時の自分は「自分はなんて不幸なんだ。あぁ、でもそんなことも、もうどうでもいい」そんな風に考えていました。


虚無感というか、負の感情に支配されていました。


それでも今思うと、まだ大学生になった頃の私よりは、ましな精神状態でした。


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夏休み

待ちに待った夏休みです。


といっても二週間ほどの休みでしたが、このときをどれほど待ちわびたかわかりません。


やっと我慢の日々、頻尿に怯える日々から解放されます。


そして、私は夏休みに計画していることがありました。


それは、尿意を我慢することです!


前学期は最低でも、一時間に一回はトイレに行く日々を送っていました。


最初の頃は、トイレに行って5分、10分もたてば尿意が押し寄せていたのですが、高校三年生になって一時間の授業を受けるうちに、トイレに行ってから20分か30分程度は尿意がない時間がありました。


それでも、30分もたてば尿意が襲ってくるので、授業の半分は我慢との戦いでした。また、心療内科でもらった薬も毎日呑んでいたので、眠気との戦いでもありました。


こんなことを言ったらあれですが、薬もあまりききませんでした。眠くなるし頻尿になるしで、毎日午後の授業はフラフラでした。



それでも、薬をやめたら余計にひどくなるんじゃないかと思って、薬は止めずに平日は毎日呑み続けました。


それで、毎日家に帰ると、空いた時間はネットで頻尿のことを調べていたのですが、その中に「尿意を我慢して徐々に膀胱を広げる」というものがありました。


それを見た僕は、休日などに実際に家で試してみました。


家では、尿意がきてから一時間くらいは我慢できました。それでも、平日学校が始まるとまた尿意が襲ってくるので、頻尿生活へと逆戻りです。
もちろん休み時間にトイレに行かないなど、怖くてできませんでした。


それで、夏休みの期間を使って、長期で実験してみようと思ったのです。


夏休みは、友人とほぼ毎日図書館に通って勉強したのですが、そこで尿意を我慢しました。


朝起きて、まずトイレに行き、家を出る直前にもう一度トイレに行ってから、自転車で友人の家に寄って図書館に向かいます。


図書館までの30分の間は当たり前のように尿意を感じました。


ですが、図書館に着いてもすぐにはトイレには行きませんでした。実験のためです。


トイレに行こうと思えばすぐにでも行けます。すると、不思議なことに尿意が引くのです。
いつでも行ける環境にあるのと、実際には尿が溜まっていないのが理由でしょう。


そこで勉強をしていると、一時間がたってもいつもの嫌な尿意がきません。
一時間半ほどすると普通の尿意が襲ってきます。それでも、いつでもトイレにいけるのでまだ我慢を続けます。


すると、ふと気付くと尿意が消えてるではありませんか。
あぁ、私の身体は正常だった。そう思いました。


それでも、普通の人に比べたら尿意がくる感覚は大分短いです。
でも、それはこの半年間、毎日何回もトイレに行って膀胱が小さくなっているせいだと自分に言い聞かせ、夏休みの間は毎日尿を我慢し続けました。


そして、今学期になって初めて、何も気にすることなく水分補給をしました。


その甲斐あってか、夏休みが終わる頃には、3時間以上尿意を感じないときもありました。
ですが、さすがに図書館を出る直前には、どんなに行きたくなくてもトイレに行きました。道中にトイレがないからです。


結局、この二週間で尿の間隔は広がりました。
あぁ、私の膀胱はこれだけ我慢できるんだ。そう確信した私は、安心しました。


そして、名残惜しい、短い夏休みが終わろうとしていました。


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体育祭

体育祭は地獄でした。


私の高校では、前学期に体育祭がありました。


競技を競うだけのもので、その日一日は授業も無いのでラッキー!と去年までは思っていました。


ですが、今年は訳が違います。


体育祭当日よりもむしろ、その練習が苦痛でした。


普段の体育の授業であれば一時間のところ、体育祭の合同練習では二時間が普通でした。


普段の一時間授業でさえ、初めの二十分以降は常に尿意と戦っていた私にとって、二時間というのは絶望の数字でした。


ですが、練習がうまくいけば一時間でトイレ休憩がもらえました。しかし、そうは問屋が卸しません。


行進練習のときは、かならずといっていいほど一時間をオーバーしました。


合同練習は学年ごと、もしくは全学年で行われるのですが、大体の時間は行進練習か団体競技の練習に使われます。


行進練習は体育教師中心のもと、吹奏学部の演奏でひたすらグラウンドを歩きます。
きちんと足並みや列が揃わなければ、揃うまで歩き続けることになるのです。
そして、そのたびに朝礼台の上から体育教師が拡声器で言います。


「揃わんかったら、休み時間なしやぞー」


この一言が、どれだけ私の尿意を過疎させたことか、思い出したくもありません。


そもそも、一学年で500人以上いるので、やり直しとなると相当な時間がかかります。また、皆が列を揃えて歩かなければならないので、逃げることができません。
トイレに行きたいからと一人で列を抜ければ、クラスだけでなく学年全体、場合によっては全校生徒に迷惑をかけることになります。


そう考えると、死んでもトイレにはいけないと思いました。


そして、行進の次に怖かったのは大縄跳びでした。


行進練習からの大縄跳び練習は、まさに地獄でした。


行進練習でただでさえ限界にきている状態で、ジャンプするのです。
それはもう、どれだけ怖いことか...


いや、文字だけ見たら何かおもしろいことのように感じます。
でも、本当に怖いんですよね、ジャンプ。


一時間も行進練習をすると、ある程度の尿は溜まります。ただでさえ神経性頻尿なので、そりゃもう膀胱への意識はものすごいものになります。


その直後の大縄跳びです。


初めのジャンプがどれだけ怖いことか...


後にも先にも、あれほど怖い思いをした競技はありません。


ジャンプをする度に、漏れそうになります。


それでも引っかかったらクラス全員に迷惑をかけるので、飛ばなくてはなりません。


なので、尿を我慢するときのように、お尻に力を入れて締め上げながら飛びます。


地上に着地した瞬間、膀胱に与える刺激は、はかりしれません。


一度引っ掛かれば、それで終わりというルールであればよかったのですが、時間内であれば何度でも再チャレンジ可能という悪魔のようなルールだったので、制限時間内は、存分に地獄を味わいました。


この、行進と大縄跳び練習が休みなく連続であった日は、その後いかなる練習があったとしてもダッシュでトイレに行きました。


通常であれば休み時間がなくても、自分の出場しない競技の練習の間に、トイレに行くことができました。しかし、私のグラウンドは学校の外の河川敷にあり、トイレまでは結構な距離があったので、トイレには常に全速力でした。


トイレにいったせいで、競技練習に間に合わなかったときもありましたが、その時はクラスメイトが教師に事情を話してくれました。


この頃になると、クラスメイトも私が頻繁にトイレに行くようになったことを知っていました。


ちなみに、私のクラスは普通科の中でも専門分野を持つ進学コースで、三年間同じクラスです。


そんな気心のしれた仲間でしたが、結局最後まで、私の病気のことは言えませんでした。


私がトイレに頻繁に行くようになった理由は、「お腹の病気」ということにしていました。


何故か頻尿だとは言えませんでした。


一般的に、頻尿よりも腹痛の方が我慢しにくいものと認識されています。
また、小であれば授業前にトイレに行ったのに、授業中にも行くというのはとても不自然に感じました。それに比べて、大であればお腹の調子が悪いという理由で、日に何度もトイレにいきやすいと感じたのです。
事実、小であれば我慢しなさいと教師に言われましたが、大の場合は必ずといっていいほど、トイレにいかせてくれました。


本当に腹痛の病気で苦しんでいる方には申し訳なく思います。
ですが嘘をつくことで、トイレにも行かせてもらえ、一々めんどくさい説明をしないですみました。


自分の苦しみ、症状を証明する手段がない。
説明するのも嫌なのに、説明しても理解されない。
これが、神経症の症状で苦しむ方々をより一層暗闇へ追い込みます。



そして、体育祭当日を迎えました。


一番の苦痛は一番最初に訪れました。


入場行進と開会式です。


もう、入場前に待機する時点で、頻尿でした。


いざ、入場が始まると練習通りにしっかりと列を崩さずに歩かなければなりません。


入場した後も、その場で足ふみをしながら全校生徒が入場するのを待ちます。


地獄のような時間でした。


そして、そのまま開会式です。全校生徒が広いグラウンドにきっちりと整列する中で、一人だけ抜けだすことはできるはずもありません。


尿意との戦いは、そろそろ限界を迎えようとしていました。
にもかかわらず、見たこともないおじさんが次々に台に上っては話続けます。


なんとか、ギリギリのところで開会式が終わりました。
その足で、私はトイレにダッシュしました。


体育祭当日は、競技中以外はフリーだったので、開会式意向は気持ち的に楽でした。


しおりに書いてあるスケジュールをしっかりと把握して、自分の出場競技の集合前ギリギリに間に合うように、トイレに行く時間を調整すれば尿意が限界にくることはありませんでした。


とはいっても、水分はほとんど取りませんでした。


でも、これは本当に危険です。当日は気温も高かったですし、よく倒れなかったなと思います。でも、その当時は、水分補給の重要性が頭ではわかっていても、飲むことで尿意がでるならば、倒れることを選らびました。
それほど、深刻でした。


今では、運動をする日は、前日の夜にしっかりと水分補給をするようにしています。
そうすると、当日は少ししか飲まないので、気持ち的に楽です。


もちろん、自由にトイレにいける環境であれば、きちんと水分は取ります。
元々汗かきなので、多分人より飲みます。
でも、そういうときはトイレに行きたくならないんですよね。そういうときはいつも、あぁ、自分はやっぱり神経性頻尿なんだなと実感します。


結局、体育祭では昼食前と、終了後に全校生徒に配られたジュースでしか水分は取りませんでした。


また、本来であれば高校三年生の最後の体育祭で、名残惜しい気持ちも湧いてくるのでしょうが、終了後は安堵感しかなかったです。
もう、これで体育祭で尿意で苦しむことはない。そう思うと、嬉しくてしょうがありませんでした。


その他のイベントも、どれも最後なので、本来ならひとつ終わるごとに寂しさを感じるのでしょうが、このときの私は違いました。


病気というのは、人の感情や思い出にも、容易く踏み込んでくるものなのだと知りました。


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